中学校PTA講演「反抗期の子供とのつきあい方と自分自身のストレスコントロールについて」

中学校PTA講演「反抗期の子供とのつきあい方と自分自身のストレスコントロールについて」

母と女性教師の会で講演させていただいたときに聴いてくださっていたPTA母親代表の方の推挙で昨年講演させていただいた中学校PTAさんに今年も講演でおじゃましてきました。リピートが続くのは講師冥利に尽きる喜びです。

昨年は十八番の「こころ元気な大人が子どもの未来を築く!」というテーマでしたが、今回は「反抗期の子供とのつきあい方と自分自身のストレスコントロールについて」です。

・反抗期の子供とのつきあい方

・子供たちの自己肯定感を高めるサポート

・自身のストレスマネジメント(アンガーマネジメント)

という三本柱で構成。最初の2つはともにリンクしていますよね。

事前の要望(講師に聴きたいこと)をいただいていまして、すべてについて上記の構成の中でふれさせていただきました。特に多かったのが「反抗期がない子供たち」についてのことでした。自分を抑えて(本当の自分を抑えて、親の望むとおりに歩んでいく等々。アダルトチルドレンのような・・と言えば分かりやすいでしょうか)成長することで、自立できるか、将来爆発しちゃうのではという親としての不安がありますから、その気持ちはよく分かります。

反抗期がないというより反抗期が見えないと捉えると分かりやすくなりますね。教育評論家の方々がよく指摘されるように親との関係性がまずありますね(過干渉、過保護、忙し過ぎ等)。一人っ子が多くなり、兄弟との比較がないというのも要因かもしれませんし。そして僕としてはスマホによるコミュニティの中で安心を得ていることも大きな要因ではないかと。

尾崎豊は(僕が思春期のころの若者の代弁者)15の夜で「やりばのない気持ちの扉破りたい」と歌いました。不安、いらだち、、思春期の特徴ですね。反抗期とは自立期ですから、大人になる過程で、いろんな価値観等とふれることになり、不安やいらだちにつながる。その結果、尾崎は15の夜で行く先も分からぬまま盗んだバイクで走りだしちゃった(汗)。

一方でセカオワはRPGで「怖いものなんてない 僕らはもうひとりじゃない」と歌っています。「僕が僕であるために」と歌った尾崎は一人称。セカオワは「僕ら」と三人称。尾崎とセカオワの時代の大きな違いがスマホ。

スマホのコミュニティ世界の中で安心や共感を得ているのは子どもたちだけではありませんね。反抗というか、つぶやくことに対して、共感してくれるつながりがある。リテラシーなどの課題はありますが、その是非というよりもそういう時代であることを受けとめねばなりませんね。

いずれにしても I am O.K.な自己肯定感が高まる関わりが大切ですね。

過去に2度ほど講演で関わらせていただいた石川県の事業である「一筆啓上 親子の手紙」をテキストにグループで対話していただいたり。僕もたくさん学びをいただきました。アンガーマネジメントも理論的なものではなく、実践的なものを。

いつもの笑いをたくさん交えた講演会!みなさま、ありがとうございました(^_^)/

・鎌田敏の著書情報はこちら ・参加者の声(感想)はこちら

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